新型コロナウイルスの影響で、3月途中から約3か月間も学校がお休みだった我が子達。
6月からやっと学校も再開し、三密を避けるための時間差通学も今はなくなり、兄妹で元気に通っています。
一時はどうなることかと思ったけど、少しずついつもの日常に戻りつつある…のかな?(最近また感染者数増えてるけど)
さて、休校中の子ども達。
各ご家庭でも大変だったでしょうが、我が家も例外ではなく、非常にしんどかったです。
僕は普段、子ども達と比較的たくさんの時間を一緒に過ごしている方だと思うけど、それでも3人全員と家の中で一日中ずっと一緒というのは初めての経験で、毎日くたくたになっていました。
では、約3か月間という長い間、一体我が家ではどのように過ごしていたのか?
「また緊急事態宣言になっちゃった!」なんてことになる前に、ちょっと振り返ってみようと思います。
あくまで「うちはこうだった」という一例ですので、そんな家庭もあったんだな〜程度にご覧ください。
休校になって一番困ったことは?
我が家の小学生2人、保育園児1人が一斉に長期休校となり、真っ先に困ったこと。
その筆頭は、何より決まった生活パターンが存在しないことだった。
自宅学習では、当然ながら「1時限目は国語、2限目は算数…」などという時間割の概念がない。
時間の区切りを教えてくれる学校のチャイムもないし、休み時間におしゃべりするお友達もいない。
週に一度、学校から課題が配布されていたけど、タイムマネジメント含めて、基本的に全て子ども達が自分でやるしかないのだ。
これには参った。
僕の今の仕事は在宅とはいえ、朝からずっと親の僕らが子ども達に張り付いているわけにもいかないし、かといって自分の仕事に集中して放っておくわけにもいかない。
小5の長男は、やるべきことを自分で完全にコントロールできるほどにはまだ精神的に成長していないし、小2の長女ははっきり言ってこちらが指示してずっと見てあげなきゃ何もできない。
保育園時の次女は、お絵かきセットやタブレットを与えていれば大人しくはしているけど、流石にずっとそうやっているわけにもいかんだろう(吸収力抜群の年代だし)。
というか、そもそも学校へ登校する時間もないので、放っておくと朝起きない。
うちの子達はどういうわけか、平日は朝なかなか起きられず、お休みの日は7時前に起きてくるという困った習性があるのだけど、そんな子達でもこう長くお休みが続くと曜日感覚がなくなり、週7で起きてこなくなる。
これではいかん、子どもにとって生活のリズムをつけさせるのは、規則正しい生活習慣の最初の一歩だ。
まずは生活リズムからしっかりしていかなくては!
そう思った僕ら夫婦、とりあえず登校時間にあたる朝8時を「1日のスタートの体操の時間」として、家族みんなで身体を動かすことから始めてみた。
身体を動かすと目も覚めてくるし、決まった時間にみんなで同じことを始めるというのは、それだけで1日のリズムになる。
ラジオ体操みたいな簡単なものだけど、毎朝同じ時間に同じことから始めるというルーチンは、1日のリズムを掴む上では有効だったんじゃないかな。
…真っ先に脱落したのは僕だったけど(小さい頃からラジオ体操嫌い)。
1日の過ごし方は?
そんな感じで1日がスタートした後、子ども達は学校から出された課題や各種検定などの問題集を集中力の続くところまでやって休憩。
時間割のようなタイムスケジュールは、特に作りませんでした。
そもそも僕自身を振り返ってみて、子どもの頃は授業中の集中力が最後まで続かないことが多かったし、前に立って教える先生がいないのに「何時〜何時までの1時間はこれをやる」と決めることにあんまり意味はない気がする。
幸いなことに、うちはお婆ちゃんがいて、午前中は簡単な読み書きとかを面倒みてくれたので、僕と妻は子ども達がやっていることをたまに巡回する程度で済みました。
それがなければ、僕と妻が仕事の合間に交代制で子ども達を見ることになっていたと思う。
勉強はそうやって乗り切ったけど、困ったのは体育。
コロナで家から出られないので、外で遊ばせることが基本的にできない。
仮に公園に行っても遊具が次々と閉鎖されてしまい、逆に子ども達がストレスを溜めることになってしまった。
“ステイホーム”の中、みんなで街中をランニングするわけにもいかない。
八方塞がりでどうにもならず、やむを得ず自宅マンションのベランダで身体を動かしたり、地下の駐車場で人の居ない時に縄跳びをさせたりしていました。
主に役立ったモノをご紹介すると…
トランポリンはちょっと場所とるけど、意外といい運動になる。
大人も子どもも楽しめるし、5分も跳び続けると汗びっしょり。
値段も安いし、これはステイホームのときには本当にオススメ。
懸垂マシーンは…最初家族から猛反発を受けました(汗)。
「デカい」「邪魔」「絶対やらなくなって物干しになる」など散々な言われようでしたが、蓋を開けて見たらこれも大活躍。
特に鉄棒が大好きな長女、懸垂に飽きたら鉄棒の代わりにクルクル回って遊んでいました。
あとはゴムチューブを引っ張って筋トレしたり、足つぼマットに乗って足の裏を鍛えたり…。
と、色々工夫を凝らしたけど、基本的に「運動は動けるだけのスペースがないとどうしようもない」という当たり前のことが判明。
どうしても走りたい時は、早朝の人のいない時間帯を見計らって、広い場所を子ども達とダッシュしてました。
こうやって過ごしてみると、集団での生活や場っていうのは大切なんだなぁと今回の長期休校で改めて痛感。
学校の先生や、一緒に勉強するお友達の存在って本当にありがたいもんです。
僕らの住む地域でも、これからオンライン学習が導入されていくらしいですが、お友達や先生と繋がって一緒に何かをするというのは、普段気付かないだけでとても貴重なんだなと感じました。
親として子どもの現在の学力を把握できてる?
普段、子ども達に対してそこまで「勉強しろ」とは言わない僕。
子ども達の持って帰ってくるテストや通知表くらいには目を通すけど、宿題をガッツリみたり、塾に行かせたりなんてことはしていない。
なので、今回の長期休校で初めて我が子達の学力を、客観的にしっかりと確認してみた。
把握した結果…。
一通り見てみたところ。
長女の学力がとんでもなくヤバいことが判明した。
小学校2年生だけど、時計が読めない。
っていうか、平仮名もカタカナも満足に書けないし、数を数えるのも100を超えてくるともう怪しい。
基本的に「勉強する」という習慣がなく、放っておくと宿題も何もやらず、ずっとお絵描きや工作をしたり、逆立ちして歩いてたり。
一方、長男は学校からの課題は瞬殺で終わらせ、取り組んでいる検定の過去問を次々とクリアしていく。
小学校5年生だけど、漢検・文章検・英検・数検と一番下の級から順番に合格していって、今はそれぞれ中学レベルの検定をやっているようだ。
宿題なんかはさっさと片付けて、学校の課題に+αで勉強する習慣がいつの間にかできている。
問題なのは、本人が既に苦手意識を持っている運動だけ。
普段から子どもの現状を把握しよう。
長女の思考回路のヤバさと、長男がなぜ勉強するようになったかはまた今度書くとして。
今回のコロナ休校で、自分の子ども達がそれぞれ全く違う特性を持っているというのがよく分かった。
勉強に興味がない長女には僕もあんまり勉強しろとは言いたくないし、学校の勉強を強制することで長女の表現力や創造力を養う時間が失われてしまうのも可哀想な気がする。
しかし、かといって文字も読み書きできず、簡単な計算もできないようでは、これからの社会を自分で生きていけないだろう。
この辺のバランスはなかなか難しいけど、少なくとも最低限子ども達が困ることのないように、普段から子ども達の「現在」についてしっかり把握しておかないと親としてはまずい。
今回のことがなければ、自分の子どもがまさか五十音も怪しい状況になっているとは気づけなかったし(時計が読めないのは普段の生活から何となく気付いてたけど)。
休校を前向きに捉えよう
3ヶ月も学校がお休みというのは、戦後の日本では初めてのことだったらしい。
確かに僕が子どもの頃は、そんな状況になったことなど一度もなかった。
インターネットなんてなかったあの時代、今回のパンデミック騒動が起きていたらどうなっていたんだろう…メールもなければ、電話も固定電話のみのアナログな時代。
とにかく、この数ヶ月間が、未来の学校の教科書に載るような事件だったことは確かだ。
僕も最初の頃は「これ一体どうなっちゃうんだろうな」と毎日不安でしかなかったけど、そのうち「こりゃ考えたってどうしようもないや、とにかく今やれることを最大限やろう」と腹を括り、それからは少し楽になった。
家族全員が家から出られない生活が、こんなにストレス溜まるものだと初めて知ったが、そこから「じゃあ何をできるか」と色々模索するのも、別の一面が開いていくようでそんなに悪いものじゃなかった。
要は考え方、何事も気の持ち方次第なんだと思う。
こういってしまうと身もふたもないが、実際今回の自粛期間で「どうせ自粛なんだからどうしようもないや」とネガティブに考えて何もしなかったら、子ども達の現状や今後どうすべきかについて、気づくこともなかったろう。
できない理由を考えて「もうダメだ」と暗い気持ちになるよりも、何か少しでもできることを前向きに考えていくというのは、生きていく上で大切なマインドなのだと思う。
平常時に戻りつつあるといっても、未だ完全にいつもの生活が戻ったとはいえない、今回の新型コロナウイルス騒動。
緊急事態宣言がもう一度発令されるようなことは多分ないと思う(思いたい)けど、今後どんな状況になっても前向きに「じゃあ、こういうのはどうだろう」と考えていくだけの心の余裕を忘れずにいたいですね。
子どもの前で頭抱えて下を向いていてもしょうがないし、結局親の「生きるために、どんなことが起きても前を向く」姿勢が、子ども達への教育につながっていくように思いますから。