令和元年、11月某日。
僕と長女は生まれて初めて広島の地に降り立った。
目的は、長女をキッズキャンプに参加させるためである。
このキッズキャンプ、僕がフィリピン滞在時にとてもお世話になっている語学学校のTさんが主催した。
Tさんはフィリピン・ネグロス島のザンボアンギータという場所で、DETi(デティ)という親子留学主体の学校を経営している。
今夏に僕が単独でフィリピンへ行ったときも、DETiにずっとお世話になり、たくさんのご家族と交流させてもらった。
今回のキッズキャンプは、そんなDETiに留学した子達に「Tさんの日本の拠点である広島で、フィリピンとは違った自然に囲まれた環境で生活してもらおう」という趣旨で開催されたものだ。
長女は生まれも育ちも東京。
大自然の中で生活した経験は、フィリピン留学を除いてはほとんどないと言っていい。
7歳になる我が娘、持ち前の度胸とコミュニケーション能力で世渡りは上手いのだが、「生きる」という点ではまだ全然弱い。
というか、小学生になっても自分の身の回りのことなどは無頓着であんまり出来ない。
黙っていてもご飯が出てきて、服もいつも洗濯済みの綺麗なものが用意されている、という普段の家の環境に慣れきっている長女、このままでは何かあったときに困ってしまう。
いくら女の子でも、たくましい生活力と生きる力は身につけてほしい。
なので、新幹線で行くにはちょっと遠いなと思いながら、思い切って広島までやってきた。
東京から新大阪を通り越し、広島へ。
広島から在来線に乗り換え、電車に揺られること30分ほどで東広島の八本松の駅に到着。
そこから車で20分程度でTさんのご自宅であるキッズキャンプの現場に着いた。
築何年くらいなんだろう。
ドラマに出てくるような古民家だ。
親の僕ですら、こういう昔ながらの和の一軒家で生活したことはない。
参加した子ども達は、全部で20人弱くらい。
日本全国、東北から九州まで、色んな場所から集まっていた。
東京からの参加者は僕ら親子だけのようだ。
しかし、初対面の子が多くても、そこは子ども達。
親の心配をよそに、お互いの名前を知らなくても、あっという間に打ち解けて仲良くなっていく。
みんなで簡単な自己紹介を済ませた後は、これから3日間に及ぶ生活のルールや趣旨を説明。
基本的には、食事作りに始まって食事作りに終わる感じで、それらの作業を子ども達みんなで協力してやっていくことになる。
生きるとは、ストレートにいえば「食べていく」こと。
とはいえ、現代の都会の子ども達には、あんまりそんな意識はないだろう。
お米やお肉はスーパーで売っているものを買うだけだし、調理だってレンジや炊飯ジャーであっという間にできてしまう。
というか、出来上がっているお惣菜を買えば、自分で調理すらしない。
それでもみんな当たり前のように食べ、生活している。
ここでは、普段のそんな生活は通用しない。
炊飯ジャーも電子レンジも使わないで、料理は火起こしから始まるのだ。
火を起こすための薪ですら、どこかから調達してこないといけない。
だらだら作っていたら、いつまでたってもご飯を食べられない。
もし作るのに失敗したら、普通にご飯抜きである。
そんな一見過酷な環境で、子ども達がどうやって生活し、どう成長してくれるか。
まさにキッズキャンプの醍醐味である。
ちなみに、初日の夕飯はカレー。
キャンプといえば、みんなで作るカレーだ。
ベタだけど王道のメニューだ。
先述したように、調理は薪拾いと火起こしから。
お米も火加減を見ながら大きいお釜で炊く。
火種ができたら、切ってきた竹を筒にして息を吹き込む。
こんな最初から火をつける作業は、たぶん子ども達も初めてだと思う。
みんな楽しそうに嬉々としてやっている。
そういえば、誰から聞いたのか忘れてしまったが。
「子供が興味をもって行う行動だけど、大人が制止してしまいがちなもの」として、火遊びがある。
大抵の子は、火で「燃やす」という行動を本能的に楽しむ傾向がありますよね。
でも、大人の僕らは「危ないから」とそれをすぐ止めてしまうことが多い。
もっとも、家の中で焚火なんてやられたら危険以外の何物でもないので、普段の生活の中では止めるのは当たり前なんだけど。
確かに火は使い方を間違えれば危ないし、大人の目が届かないところで子どもに使ってほしくはない。
けど、ただ「危ないから」という理由だけで、子どもを火から遠ざけてしまうのも考えものだ。
「火」を使える生物は地球上で人間だけだし、それこそが他の生物と人間との違いでもある。
危ないのを承知の上で、子どもから火を学ぶ機会を取り上げてしまうのではなくて、火がどういうものか、どんな特性があってどうやって使っていくのかを少しずつ教えていく方が、子どもにとって良いのではないかと思う。
ちなみに、他に子どもが喜ぶ行動として「水を無意味にじゃばじゃば出す」「(冷蔵庫などの)ドアを意味もなく開閉する」などがあるそうだ。
大人としては、どれも「もったいない」「後片付けが大変」などの理由で止めてしまいがちだけど、子ども達にとっては好奇心を掻き立てられる行動。
大人から見たら一見無駄なようでも、子ども達にとっては感覚を磨かれる貴重な瞬間かもしれない。
頭から接する機会を取り上げるのではなくて、思い切りそういった行動を楽しめる機会を設けてあげたいもんです。
無事に火が付いた後は、お米を炊く。
この辺りは普通のキャンプの飯盒炊飯とそう変わらない。
余談ですが、これを読んでくださっている方の中で、こうやってご飯を炊ける人はどれくらいいらっしゃいますか?
私はもちろん、無理なんですけど。
というか、我が家は70歳オーバーのお婆ちゃん含めて全員出来ないと思います。
今の日本では「ある時から突然電気が使えなくなる」ということはまず考えられません。
僕も、東日本大震災の時の計画停電以外、日本で電気が使えなくなった経験はないです。
ただ、震災の時の計画停電もそうだし、フィリピン滞在時もそうだったんだけど、「いつでも電気が使えるのが当たり前」という生活に慣れすぎると痛い目に合う。
電気使えるのって、別に当たり前じゃないですよ。
日本のインフラが非常に優秀なだけで、普段の生活において「電気も水も使えるのが当然」という感覚はちょっと危険じゃないかなと思います。
そういう考えもあって、今回のキャンプのように「自然の中で、身の回りにあるものを使って生活する」という経験は非常に貴重だと感じます。
大人の僕もできないことを子どもと一緒に学べるチャンスでもあるし、「そういえばこれはどうやるんだろう」という、普段考えもしないことを考える良い機会でもある。
長男も連れてきたかったけど、残念ながら長男は柔道の試合だったので今回は連れてこられなかった。
ちなみに今回のキャンプ、全国から集まった子ども達以外にも、地元の子ども達が何名か参加している。
その中で、特に異彩を放っていたのが中学生のY君だ。
Y君の凄さは、これから続く2日目3日目で詳しく書いていくが、とにかく「生きる力」が半端じゃない。
少なくとも私は、自然の中で生きるという点では、中学生の彼の足元にも及ばない。
3倍以上の年数を生きているのに恥ずかしいが、3日間で彼に学ばせてもらったことは非常に多い。
正直、彼がいなければ3日間でちゃんとしたご飯は食べられなかったんじゃないかと思うくらい。
ちなみにY君、今でも生活のうちの8割くらいは、火起こしから料理を作るそうだ。
中学生の男の子が家族全員の食事を作るだけでもすごいのに、毎日がキャンプのような食生活。
この辺の地域は井戸水も出るので、水道代もかからない。
つまり、自然の中でガス代や水道代をほとんどかけない生活を送っている。
素晴らしい。
こうして、早朝の新幹線異動から始まった長い一日は、夕飯のカレー作りであっという間に終わってしまった。
普段は綺麗好きの長女も、フィリピンにいたときと同様、すぐに順応して野生化した。
行儀や礼節には厳しい僕だけど、キャンプに来たときにまで「お洋服を汚さないで、お行儀良くして」なんて野暮なことは言わない。
普段と違う生活を目いっぱい楽しめばいい。
2日目は早朝の海釣りから始まる。
ここで魚が獲れないと、みんなの昼食が抜きになる。
子ども達の運命や、いかに。