スペース・ニードルまで来た僕ら親子は、夕方から行われるパレードに参加するため、他のパパたちと合流した。
集合場所はシアトルセンター。
ちなみに参加したパレードはトーチライト・パレードといって、シアトルでも人気の大きなイベントらしい。
2017年はシアトル・神戸姉妹都市協会の友好親善60周年だそうで、ありがたいことに我々もそのパレードに参加させていただけることになっていた。
事前に聞いていたのは「集合時間は18時30分、2.5㏕(約4㎞)の道のりを1時間以上かけて練り歩きます」という情報だけ。
どんなパレードなのか、規模も内容も分からないまま、今か今かとスタートを待つ。
…が、いくら待っても全然スタートしない。
18時30分スタートなら、普通遅れても19時過ぎにはスタートするかなと勝手に思い込んでいた僕。
しかし、待てど暮らせど僕らの順番が回ってくる様子はない。
ふと見ると、時計の針は20時を回っている。
空が明るいからイマイチ時間が遅れてる実感がないけど、もう立派に夜だ。
こういう時、日本だと「いつ始まるんだよ?」みたいにイライラして、スマホ見て時間潰しながら待っていることが多い。
実際、僕も最初はちょっと「まだ始まらないの??」と思ったりした。
でも、シアトルの人たちはそんなの全然気にしている様子がない。
楽しそうに談笑したりして、のんびりと順番を待っている。
考えてみたら、お祭りのパレードで自分たちの順番が遅れているからって、それが何故イライラする理由になるんだろう。
時間きっちりに始まらないなんて理由で不機嫌になってたら、楽しいお祭りなのに本末転倒だ。
日本にいると時間に始まるのが当たり前、みたいな感覚に陥りがちだけど、そんなことでいちいちイライラしたり怒りっぽくなったりしてたら、何だかせわしない生き方で疲れてしまうんじゃないか。
ここは日本の朝の通勤ラッシュじゃなくてシアトルのイベント、そう、お祭りなんだ。
日本の感覚をリセットして、アメリカのお祭りを楽しまなきゃ。
なので、「時間が押したら僕らの後の遅い順番の人はどうなるんだろ」「行政(警察)は大変なんじゃないだろうか」「小さい子もいっぱいいると思うんだけど、夜遅くても大丈夫なの?」これらの疑問は、全て頭の中から消し去ることにした。
そうこうしているうちに、僕らの順番が回ってきた!
時計の針は20時30分を少し回ったところ、予定より実に2時間の遅れだ!
でもそんなの気にしない!
子供たちの体力だけが少し心配だけど、みんな元気そうなので大丈夫だろう!
両脇に大勢の人が見守る中、ゆっくりと手を振りながら歩く。
この雰囲気は実際にご覧いただいた方が早いかな。
とにかく、凄い人だかり!
ちびっ子からお年寄りまで、たくさんの人が日本から来た僕らに対して手を振り、歓声を上げてくれている。
まるでスーパースターになったみたいだ!
現地の人の楽しみ方もすごい。
道路脇に思いっきりソファを用意して、自宅のリビングみたいにして観ている人たちもいる。
てか、いーのかこれ?(笑)
自分の家のようにくつろいで、何か飲んだり食べたりしながらパレードを観る。
日本のお花見でも、ここまでのリラックス空間は作れないだろう。
そんな大変な賑わいのパレードの最中、神戸市の方の粋な計らいにより、僕らはヴィッセル神戸の広告入りの団扇を配りながら歩いた。
両手に持ったのを1枚ずつ配ったんだけど、その減り方が半端ない。
ちびっ子はもちろん、いい大人たちも「それをくれ!ぜひその団扇を俺にくれ!」と真正面から要求してくる。
何だ、この尋常じゃない熱気は。
失礼な言い方かもしれないが、別に特別高級な団扇という感じじゃなく、日本ならイベントで配っているような普通の紙製の団扇だ。
それなのに、1人のちびっ子にあげたが最後、周囲の子どもや大人達がどえらい勢いで「ヘイ!こっちにもくれ!」と凄い勢いで集まってくる。
全然知らない初対面の人でも「センキュー!」とハイタッチしてくる。
これはものすごい経験だ。
自分でシアトルに旅行に来たとしても、こんな体験はできないだろう。
息子と一緒に来てよかった!!
そう思って、我が息子の顔を見ると…
車の上(子供たちは歩かず、車上からパレードに参加していた)で、何だか疲れたような、つまらなさそうな顔をしている。
え、何で??
こんな体験、二度とできるか分からないんだよ??
そして、しばらくすると「パパ、おしっこ!」と言い出した。
おいおい…。
あれだけパレードの前に、何度も確認するようにトイレに行ったじゃないか。
こんな何万人もいる路上で、そう簡単にトイレに行けるわけがないだろう。
大体、今はパレードの最中で止まれないんだぞ。
どうしてお前はいつもそう…。
と怒鳴りつけたくなるのを我慢して、何とか見つけてもらった道路沿いの簡易トイレへ息子を連れていく。
まぁ、生理現象だから仕方がないよね、と自分に言い聞かせて、怒りを顔に出さずに2.5㏕を最後まで歩ききった。
感動のフィナーレだ。
時刻は22時近く。
皆、パレードの興奮が冷めやらぬまま「お疲れ様!」「楽しかった!」と声を掛け合う。
そんな中、車から出てきた息子が開口一番放った一言は、
「やっと終わったー!」
…え?
それだけ?
疲れたのは分かるけど、楽しかったとか、凄かったとか、そういう感想はないの?
ここで初めて、この旅行で息子にキレてしまった。
「やっと終わったって、それだけ?楽しくなかったの?早く終わってほしかったの?そんなにつまんないなら一人で帰っていいよ。パパは他の子たちと一緒に楽しんで帰るから。タクシーでも何でも捕まえて自分一人で帰って、3DSでもやってな。てか、一体何しに来たんだお前」
溜まっていた感情が噴き出してきて、抑えられない。
そりゃ疲れたのは分かる。
大人でも疲れる、イベント盛り沢山な一日だった。
でも、「やっと終わった」って、そりゃないだろう。
君にこの体験をさせるために、どれだけ多くの人が力を借してくれていると思っている。
興味がなくても、せめて楽しんでいる他の子たちに水を差すようなことを言わないでくれ。
つまらないと思うのなら、周囲の人に迷惑をかけないようにして一人で帰れ!
…今、冷静になって振り返って考えると、随分きつい言葉を浴びせてしまったなと思う。
興味がないことにはあからさまにつまらなさそうな顔をし、何かというと「ゲームやりたい」とばかり言う息子に対して、「ゲームだけじゃなくて、世の中にはもっと色々な楽しい世界があるんだ」ということを感じてほしかった。
パパができなかった経験、幼い頃に体験できなかったことを7歳にして父親と一緒に共有しているんだという事実を、もっと純粋に感動してほしかった。
多くの人達の協力のもとに、こんな素晴らしい体験をできていることに、もっと感謝の気持ちを持ってほしかった。
うまく言葉で言い表せないけど、あの時の僕は多分こういった「なんで分かってくれないんだお前」的な気持ちが一度に溢れ出てきたんだろうなと。
事実、息子はパパが怒っていることについて、あんまりよく分かっていなかった。
時間を置いてから「なんであの時、パパがあんなに怒ったか分かる?」って聞いたら「…途中でおしっこ行きたいって言ったからかなぁ」って言ってたし。
子どもに対して「もっと感動しろ」「もっと感受性を強くしろ」って思っても、そんなの無理なんだよね。
それは子どもが自ら「反応」することであって、いくら自分の親からであっても、外から強制することはできない。
感動を強制なんてそもそもできやしないし、それは親からの視点、言わば親のエゴでしかないんだよね。
今は反応が薄くても、もっと大きくなるにつれて「そういえば、あの時にあんな経験したなぁ」と思う日が来るかもしれない。
そういうきっかけを提供をできただけでも、今はいいじゃないか。
今後、この経験が息子の中でどんな化学変化を起こすかなんて、誰にも分からないんだから。
そうやって反省できたのは、実は旅を終えた後でした。
…こんな感じで、2日目の長い1日は終了した。
まだ旅は始まったばかりだというのに、早速息子と大喧嘩。
最終日までうまくやっていけるのかなぁ、と心配しながら3日目を迎えるのですが、予想通り恐れていたことが現実となるのです…。
3日目に続きます。