子どもの頃、僕は身体を動かすことが嫌いだった。
といっても、最初っから嫌いだった訳ではなく、幼稚園の頃は木登りやボール遊びなど、それなりにやった記憶はある。
みんなで一緒に遊んだり、体育の授業を経験して、自分で自分のことを「あ、俺は運動神経ないんだ。人よりだいぶ鈍いんだ」と自覚したのは、確か小学校低学年くらい。
そこからどんどん苦手意識を持つようになってしまった。
苦手意識を持ってからは、身体を動かすことが本当にダメになった。
体育の授業は大嫌い。
握力は女の子より弱く、縄跳びは全く跳べず、ボールを投げれば5mも飛ばず、50m走の記録は9.4秒という遅さ。
この9.4秒というタイムは死ぬまで忘れないと思う。
当然、運動会なんて苦痛でしかない。
公衆の面前に自分の鈍足を晒されるのだ。
道化師のギャロップ(運動会の時によくかかる曲)なんて、聴くだけで身体がこわばった。
この「運動は嫌いだ」という感覚は思春期の間、ずっと続いた。
しかし、この運動に関する劣等感、コンプレックスが、その後の自分の人生を大きく変えた。
野球やサッカーというメジャースポーツには全く興味を持てなかった僕が、中高生の時、格闘技には興味を持ててハマった。
当然、強くなるには基礎体力を強化しなければならない。
なので、高校から大学にかけて、徹底して肉体改造に取り組んだ。
自分の弱い部分はどこなのか分析し、ジムでトレーニングして、栄養についても学ぶ。
勉強や運動を「人から強制されるもの」としか捉えてなかった僕が、初めて物事に自発的に取り組むようになったキッカケだった。
自分の半生を振り返ってみて思うこと。
運動ってのは子どもの頃、それもできるだけ小さい頃から「基本的に身体を動かすのは楽しいもんだ」「やればやっただけ効果があるんだ」と子ども自身に感じてもらった方が絶対に良い。
もちろん、その子によって向き不向きもあるし、泣いて嫌がる子に無理矢理やらせるのは良くない(余計嫌いになるからね)。
絵を描いたり、本を読んだりしている方が好きだという子も、それはそれで大いに結構。
けど、苦手意識を持ってしまう前に、運動が嫌いになってしまう前に、少しでも良いイメージを持たせた方が、後の人生変わってくるんじゃないだろうか。
運動が大嫌いな子どもだった僕は、そう思う。
さて、前振りが長くなってしまった。
育休中の僕のテーマの1つに「子どもと一緒に楽しく運動して、身体を動かすことを習慣化する」というのがある。
流石に産まれて数ヶ月の次女とはまだ一緒にできないので、小学生の長男と保育園児の長女と3人で。
特に長男は僕に似て、鈍い。
今のうちに意識を変えてあげないと、父親の僕と同じような道を辿る可能性がある。
そんな僕ら親子3人が、どうやって運動に取り組んでるかは、また次回。