Green Lake Parkをあとにした僕らは、ベルビュー図書館に向かった。
ここでは、マイクロソフトに勤務する日本人のお父さんたちや、某有名ゲームの生みの親の一人であるゲームデザイナーのY原さんにお会いすることになっている。
Y原さんはWikipediaにも載っているような有名な方なので、もはやイニシャルにする必要は全くないような気もするが念のため。
正直なところ、「アメリカのマイクロソフト本社に勤務する日本人」「誰もが知ってる有名ゲームを作ったゲームデザイナー」…これらの、普段自分と全然関わりのない方々とお会いすることに僕は不安を覚えていた。
プライベートでも仕事でも、今までそんな方々と接したことはない。
子育てという共通テーマはあっても、一体何を話せばいいんだ??
しかし、そんな心配は全くの杞憂だった。
現れたのは、気さくでとても親しみやすい4人のパパたちでした。
午前中のM原さんのお話もそうだったけど、このミートアップも本当に濃密で楽しかった!
アメリカの学校ではこんな風に教育が行われている、生活している中でこんな問題が起きることがある、会社(マイクロソフト含む)の人事評価制度はこんな感じだ、一日の仕事を終えたら日本のような残業はせず気にするのは帰りの交通渋滞の時間帯くらい、などなど…。
育児や家族の考え方についても、日本とは違う。
役職に関係なく、誰もが家族との時間を大切にしているし、無駄な時間の使い方はしない。
社外の人との会議の最中であっても、時間が押して終了するはずの時間をオーバーすると「ごめんなさい、そろそろ保育園に子供を迎えに行かなければならないから」と途中で男性の管理職の人が退席してしまうこともあるそうだ。
凄いな。
社内ミーティングならまだ分かるけど、外部の人との会議であれば、日本なら普通はそのまま続行してしまうんじゃないか?
そういえば、日本では2020年から小学校でのプログラミング教育が必修となる。
そのことについて、専門家のこの方達はどうお考えなのか、お話を伺ってみると「日本の学校の先生たちが、生徒のプログラミングをどうやって評価していくのか、今の段階では見えてこない」とのことだった。
それに、プログラミングというものの特性上、日本の小学校教育の評価システムとはプログラミングは合わないのではないかという。
この辺の話、コンピュータの素人である僕なりに理解した話を記載すると…。
日本の教育は文科省の学習指導要領によって、習う内容がある程度決められている。
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しかし、プログラミングは「●年生がやるのはここまで、●年生は~が出来ていなければならない」という性質のものではない。学校の先生が1を教えたら100の作品を作ってしまう生徒、要は先生の能力をはるかに超える作品を生み出してしまう生徒が出てくるはずだし、そこがプログラミングの奥深さ、面白いところでもある。
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そうなった時に、プログラミングについての専門家ではなく、1人で何科目も担当している小学校の先生は、生徒をどうやって評価するのか。
正確に表現出来ているか分からないが、おおむねこんな趣旨の内容だった。
なるほど。
確かにそうだ。
学校では学年ごとに習う内容が決められているけど、プログラミングってそう単純なものじゃない気がする。
余談だが、学習指導要領といえば、去年こういうことがあった。
息子は以前から漢字が好きで、保育園の頃から僕に「これなんて読むの」「この漢字は〇〇って読むんだよね」「この字が書けるようになったんだよ、凄いでしょ」と自分から言ってくるくらい、漢字への学習意欲が高かった。
親として別に強制するでもなくそんな調子だったので、試しに僕がAmazonで選んだ漢字練習帳を与えてみたら、あっという間に小学校3~4年生レベルのものまでクリア。
漢検も自分の学年以上の級に次々合格し、フルネームはもちろんのこと、学校のノートの文章も漢字で書きまくっていた。
…のだが。
ある日、ふと気がつくと、書けるはずの漢字を全然書かなくなっていた。
僕「あれ、お前、自分の名前って全部漢字で書いてなかったっけ?」
息子「書けるよ」
僕「じゃあ、何で書かないの?」
息子「習ってない漢字を書くと学校の先生に怒られるから」
僕が初めて文部科学省の「学習指導要領」というものを認識したのはこの時だった。
なるほど、日本の公立の小学校教育ってそんな感じなのか。
でも、将来習う予定の漢字を今書くのが、そんな怒られるようなことなのか?
まだ授業で教えていないからって、自分の名前さえ平仮名で書かないといけないの?
それはかえって子供の学習意欲を削ぐことにならないか?
事実、息子は出来るはずのことを「先生に怒られるから」という理由でやらなくなっちゃってるぞ?
納得のいかなかった僕は、担任の先生宛てに事情説明を求めてみた。
そして、返ってきた先生の回答は「お宅の息子さんのレベルに他の子を合わせることは出来ない」というものだった。
こちらは別に周りの子のレベルを合わせろなんて要求したつもりはないのだが。
こりゃダメだと思い、息子にその先生の言うことは気にしなくていいから自分の好きなようにやりなさい、習ってないからって遠慮することはないよと伝えた。
しかし、漢字への学習意欲は以前より明らかに低下したままだ。
学習指導要領ってのが何なのか調べてみると、「全国どこの学校で教育を受けても、一定の教育水準を確保するために、各教科等の目標や内容などを文部科学省が定めているもので、教科書や学校での指導内容のもとになるものです」とある。
全国どこでも一定の教育水準を確保、つまり日本全国どこの学校へ通っても最低限のレベルは担保されるということだろう。
確かに、全体のレベルをある程度保証するという意味では良い制度だと思う。
しかし、それは最低限のレベルを確保するという趣旨であって、生徒全員の足並みを揃えなければならないという、いわば足枷を目的とするものではないはずだ。
息子が通っているのは普通の区立の小学校なので、たまたまこの先生がそういう考え方だったんだろうと思う(思いたい)。
けど、最初に出会った学校の先生からこんな教育を受けて、そのまま成長していったらどうなるのか。
「習っていないので出来ません」「教えられてないし、やったことないので出来ません」という思考停止人間になってしまうではないか。
そう考えるとゾッとする。
そりゃ私立の学校に行かせる親が増えるはずだわ…。
ちなみに、この話をしたらその場にいた全員が「何それ!?」という顔をしていた。
アメリカには学習指導要領なんてものはないけど、やっぱり学校の先生の指導方針としてはあり得ないそうだ。
…と、そんな話をしているうちに予定していた終了時間はあっという間に過ぎてしまった。
まだまだ話し足りない、もっと時間が欲しかったなという名残惜しさでいっぱいの交流でした。
最後に記念撮影し、またこういう機会をもちましょうと約束を交わしてお別れ。
刺激を受けまくった僕ら一行は、後ろ髪を引かれる思いでベルビュー図書館を出発。
4日目のディナーの場所であるアイバース・サーモンハウスへと向かったのでした。